今週の例会

第28回2月20日(月)

会長の時間

 これまで2回、平安時代の4人の女性のことについて述べました。紫式部、清少納言、和泉式部、赤染衛門です。言いたかったことは、4人が優れた作品を残していることは勿論ですが、今から1000年以上も前の時代におのおのが個性的な生き方をしたということです。
今日は、この4人の個性的な生き方から血液型を推定している方がいましたので、その予想を紹介したいと思います。血液型で気質が異なるということには科学的根拠は無いと言われていることは承知の上です。

 まず紫式部ですが、漢字の素養がありながら、日本書記なんかを読んでいると噂がたつと、「一という字も書けません」と、わざと才能を隠した(控え目ということでしょう。岩田注釈)というエピソード等からA型と推定しています。

 清少納言については次の様なエピソードを紹介しています。頭の中将藤原斉信がテストのため、仲の悪かった清少納言に漢詩の第三句「蘭省花時錦帳下」を送り、模範回答として続く第四句「廬山雨夜草庵中」を期待しました。意味は、「君たちは都の花咲き、錦のとばりの下で得意にしているが、僕は雨ふる夜さびしく草庵でくらしている」です。それに対して清少納言は和歌で「草の庵を誰か訪ねむ」と返しました。斉信は返歌しようとしたが、清少納言のあまりに素晴らしい回答に出来なかったそうです。そしてこのことから仲直りし心も通じ合うまでになったということです。このように自分の才能を覆い隠すことがなく自由奔放に表現したということでAB型の持ち主と推定しています。

 和泉式部はいろいろな男を愛し(10人位ボーイフレンドがいたそうです。)、世間からいろいろいわれても、きりっとした態度でのぞむという情熱的でありながらも弱くて強い性格を持っていたということでB型と推定しています。

 最後に赤染衛門ですが、文章博士の夫に知恵をさずけたり、息子の引き立てを藤原道長の娘の倫子に頼んだり、息子や娘が恋人に送る歌の代筆などもまめにしたそうです。和泉式部を戒めたりもしています。人柄が良く良妻賢母の鏡であり、O型と推定しています。

 私は4人の生き方が、一般的に言われている各血液型の気質と合っていると思うのですが如何でしょうか。そして何とか4人の血液型が分らないものかなと夢をめぐらしています。もし4人の血液型が推定と合っているとすると、1000年以上前から血液型に気質の違いがあり、そしてそれらの間の相関関係が1000年後も変わっていないということになり、血液型と気質に相関関係があるという科学的根拠になるのではないでしょうか。

例会の様子

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